入院4週間目 〜4〜
年末年始の外泊の前日。
急に咳がひどくなり,夜まで様子をみていました。
夕方頃の診察では,これ以上悪くならなければ問題ないとのことでした。
プレドニンを飲んで抵抗力が弱まっている状態で,一番怖いのは,感染症。
さらに,肺炎などの合併症にかかること。
咳止めの頓服を処方してもらい,少し落ち着いたようにも思いました。
しかし,夜になって再び咳がひどくなり,呼吸もしづらく,ふらつきもひどく起き上がれない状態になってしまいました。
消灯時間も過ぎ,夜の11時をまわっていたにもかかわらず,当直医の先生が診察をしてくださりました。
念のため,レントゲンをとろう
とのことで,夜中にレントゲン室へと車椅子で移動し,検査。
結果,横隔膜が上がっているくらいで,大きな以上はありませんでした。
これくらいなら,外泊しても大丈夫だろうとのことで,ひと安心。
検査室から病室のベッドへと戻りましたが,
- 横になると咳がひどくなって苦しい
- 体を起こすとふらついて,バランスを保てない
という状態で,ベッドサイドのテーブルに伏せていることしかできませんでした。
眠ることもできず,しんどさから意識も朦朧としかけていましたが,そんなとき,担当の看護師さんがずっとそばに付き添っていてくれました。
夜中の検査のときも,車椅子で送迎してくださった看護師さん。
ベッドに戻ってからも,体を支えてくださったり,少しでも咳が治まるようにと濡れタオルを持ってきてくださったり。
そばで優しく話しかけてくださったり。
もちろん,それで体調が急に良くなるわけではありません。
でも,そばにいてくださるだけで,気持ちが落ち着いていくのがわかりました。
『仕事だから』と言ってしまえばそれまでですが,それでも,あの時の看護師さんがいてくれたことの安心感は忘れられません。
看護師さんって,本当に素敵なお仕事だなぁ,と心から思いました。
体力的にも精神的にも本当に大変なお仕事だとは思いますが,そのおかげで,どれだけ多くの人が助けられているか。
ただただ感謝の気持ちしかありません。
そして,みなさんの支えあって,翌日,無事に外泊することができ,1か月ぶりに自宅へ帰ることができました。
* ちょっぴり不調day
今日はあまり調子が良くありませんでした。
ここのところ少し動悸がするのと,胃なのか胸なのか,微妙なところに激痛が走る。
熱っぽさも抜けなくて,吐き気もあったりなかったり。
薬の副作用からくるものだと思うけど,症状の悪化だったら,と思うと怖くなる。
主治医の先生にも判断しづらい部分があるようなので,あまり深刻になり過ぎないようにしながらも,慎重にみていかないとな〜と思います。
一進一退とはこういうことですね。
わかっていたことだけど,すぐに良くなるわけではないので。
それでも,少しずつでも前を向いて進んでいきたい。
立ち止まっても良いから,後ろだけは向かないように。
入院4週間目 〜3〜
4週間目はいろんなことがあったので,長いです。
まだまだ続きます(笑)
読みづらくすみません。
12月の初めに書いていただいた診断書では,
『1か月間の休養を要す』
とのことでしたが,まもなく診断書の期間が終わろうとしても,退院の目処は立たず。
更に2か月間,休養期間を延ばしてもらうことになりました。
それ以降は経過次第でしたが,どうしても3月中には仕事に復帰したかった私は必死でした。
リハビリも,誰よりも一生懸命に取り組み,リハビリの時間以外でも,病室で手足を動かしたり,廊下を歩いて何往復もしたり。
おかげで,少しずつ歩けるようになり,ちょうど年末年始が近いこともあり,主治医の先生から外泊許可が出ました!
- 家の中のみで,人混みに行くことは禁止
- 食事のとき以外はマスクを着用
- 少しでも異変を感じたらすぐに戻ってくる
という条件付きでしたが😅
外来で受診して,そのまま緊急入院だったため,1か月間,一度も家に帰れないまま病院で過ごしていた私。
年越しも病院かな...と諦めていたので,この外泊の提案が嬉しすぎました。
そして,いよいよ明日から外泊!という日のお昼過ぎ。
まさかの異変が起きました。
数日前から,なんとなく空咳が出始めていたことには気付いていました。
でも,なんとか隠しながら,ごまかしながら,この日までやってきました。
それが,翌日に外泊を控えたその日の午後から,急に咳がひどくなってきたのです。
巡回に来た看護師さんにも気付かれ,先生の診察を受けることに。
ここで異常があったら家に帰れない
焦りました焦りました。
でも,ひとまずは胸の音も悪くなかったので,様子をみましょう,とのこと。
ベッドに横になり,大人しくしていることにしました。
* 大切な人
今日は,入院中に仲良くなったお友だちのAさん(仮名)が外出許可をもらったとのことで,一緒に少しお出かけしてきました。
お空は生憎の雨模様でしたが,2人でランチして,ゆっくりお話ができて,なんだかとってもホッとする時間を過ごせました。
『外を歩く』
そのことが,どれだけ幸せで,素晴らしいことか。
当たり前のことを当たり前と思わずに,一つ一つの出来事や,周りの人への感謝を忘れずに,毎日を大切に生きていきたい。
そんな風に思いました。
Aさんとは,出会って,というか,初めて話をしてから,まだ1か月余り。
それでも,彼女の存在は私の中でとても大きなものとなっています。
それは,ただ同じように病気で入院していたから,というだけではないと思います。
私は,どんなに身体が辛くても,心が辛くても,それをなかなか人に見せることはできませんでした。
ナースコールを押すこともできず,看護師さんがまわってきてくれても,『大丈夫です』とニコニコ笑っていました。
それでいて,一人になると悪いことばかり考えてしまい,不安でいっぱいになって,人知れず泣いているような,そんな人でした。
辛いとき,不安なときほど笑顔になる。
顔で笑って心で泣くとは,まさにこのことですね。
Aさんには,そんな私と同じようなものを感じていました。
だからこそ,お節介ながらもAさんのことが心配で気がかりで...
話をしていくうち,私たちは自然と仲良くなっていきました。
初めのうちこそ,年下の私には弱みを見せなかったAさんでしたが,最近では少しずつ,不安なことも話してくれるようになってくれました。
お互いに,気を許せる仲になれて,同じように悩みを共有できる相手がいること。
本当に心強いです。
Aさんとの出会いは,私にとって本当に宝物です♡
入院4週間目 〜2〜
今後の治療方針について,主治医の先生と相談をしました。
これまで,ステロイドの点滴を,外来時から数えて3サイクル行ってきましたが,その度に熱が上がり,体調を大きく崩していました。
身体に合っていなかったようなので,今後はステロイドの点滴をやめることになりました。
プレドニンは50mgから45mgに減り,このまま少しずつ減らしていけるかな〜,とのことでした。
手足の痛みはひどく,リリカやガバペンも効かなくなってきたので,サインバルタを追加することになりました。
そんな,入院4週間目。
世間は年末でバタバタしているようでしたが,病院にいる私には,何も変わらない日々が過ぎていくだけでした。
それでも,先日の師長さんのお言葉があったので,気持ちは少し穏やかでした。
《参照》
http://rinrinnnnnn.hatenablog.com/entry/2017/03/29/202218
看護師さんとも当たり障りないことだけでなく,不安なことも少し話せたり,プライベートな話ができるようになったり😊
看護師さんが様子を見にきてくれて,用事が済んだ後も,『帰らないで〜』とワガママ言ってみたり(笑)
お仕事中の看護師さんたちには,本当に迷惑な患者だったと思いますが,優しく,温かく受けとめてくださって,感謝以外の言葉がみつかりませんでした。
今でも大好きな看護師さんたちです♡
一生忘れることはないと思います。
* ハンドメイドday
手先のリハビリも兼ねて,UVレジンを始めました。
今日作ったもの。
イヤリングに加工する予定です*
楽しいことをしていると,気持ちも落ち着くから良いですね😊
入院4週間目
この頃の私は,かなり不安定でした。
入院当初に渡された,入院計画書には,
『予定期間 2週間』
と書かれていたのですが,2週間が過ぎ,3週間が過ぎても,『退院』の言葉は見えてきませんでした。
書いていただいた診断書も
『1か月間の休養を要する』
とのことでしたが,まだ退院もできないのに,仕事復帰どころではありません。
身体が思うように動かないことへの不安や苛立ちと,早く仕事に復帰しないと,という焦りとで,気持ちがめちゃくちゃでした。
そんな中でも,人には笑顔を見せないと!
と,いつまでも気を張っていた私ですが,あるとき,病棟の師長さんに
『あなたがいつもニコニコ頑張ってるのは,みんな知ってるよ』
と言っていただきました。
辛いときは泣いてもいいの。
本当は辛いはずなのに,笑顔で頑張っているから,本人の前ではみんな何も言わないけどね。
あなたが頑張ってきたものを壊したくないから。
でも,みんな『あの子はいつも笑顔ですごい。』って。
『私たちが元気もらってる。』って言ってるんだよ。
自分の病気を受け入れようとするのは,まだ早い。
今はまだ泣いても良いんだよ。
そんな感じの言葉だったと思います。
師長さんの言葉が,心に真っ直ぐ届いてきて,自然と涙が溢れてきました。
病院に来てから,人前で初めて見せた涙でした。
それから少しずつ,張り詰めていた気持ちも緩やかになり,看護師さんたちにも素の自分を見せられるようになっていきました。
あのときの師長さんの言葉には,本当に本当に救われました。